本記事の筆者

この記事を書いている私は、
- 海外MBA進学・2度の転職経験をもとに自身が所属する香港の団体でキャリア相談を実施(累計200名以上)
- コーチング・キャリアコンサルティングを専門とするAscent株式会社 代表取締役(コーチング歴:5年)
- 米国CTI認定プロコーチ(CPCC)/ Gallup認定ストレングスコーチ
- 国家検定 キャリアコンサルティング技能士2級/ 国家資格キャリアコンサルタント
浸りすぎた30分間

本日、CPCCの試験が完了した。
終わってから約3時間後の今、ようやく冷静になれてきた。
19時開始の口頭試験で私は前半パートだった。
全体でのスペースチェックが終わってから、すぐコーチングに臨んだ。
テーマを定め、プロセスの指針を握り、co-activeの礎を味方につけ、目の前のクライアントの「今」にどっぷり浸かった。
いや、正確には、浸かりすぎた。
結果的にクライアントが底を打って、浮上し始めた瞬間に30分が経過し、試験が終わった。
残り40秒ほどで
「今色々感じてみて、この時間でどんなことを覚えておきたい?」
「〇〇さんって〇〇な人だね(認知)」
を無理やりねじ込んだ感が否めない。
後5分あったら浮上してアクションまで行ったんじゃないかな、なんて思いつつ
「終わってしまった…」という感想がまず心の中で響いた。
終わった瞬間、やり切ったとは言えない切なさ、残酷さ、そんな感情が残った。
終わった直後

後半パートの方を待つ間45分ほど時間があるので、コーチング完了後すぐさま部屋を飛び出し、妻と息子のいるリビングへ。
「お疲れ様!」
いつもと変わらぬ妻の声。
それとは打って変わって私の表情は興醒めしていた(と思う)。
いつものコーチングセッションやスキルドリル終わりの私であれば
「やっぱりコーチングが大好きだ」
「今日も学びが多くて素敵な時間を過ごした」
などと、まるで子供のように目をキラキラさせながら妻に話しかける私にも関わらず、である。
正直な話、もっとやれた。
クライアントの今にフォーカスし、共にいる。今この瞬間クライアントが何を感じ、何をみて、何に気づいているのか。
じっとコーチとしてクライアントのNCRWを全力で信じてともにいる。
そんなコーチングができた。その点はgood。
ただ…クライアントと共に居続けた結果、30分のコーチング時間のうち、20分ちょっとをお互い画面の外で会話をしてしまった。
「してしまった」という表現は本来適切ではない。
なぜなら、画面をオフにして行うコーチングもあるし、このCPCC口頭試験も画面オフでやるのもありだからだ。
しかし私は、反映を得意のスキルとして力を発揮することが多い。
そんな私が画面でクライアントの様子を伺えないとすると、表情や姿勢、ジェスチャーなどを視覚で捉えて反映することができない。
普段であれば、直感や好奇心をフルに使い、雰囲気や声色などの情報をもとに反映を自然に行うのだが、試験となると別物。
「あれ、ほとんどの時間画面外でエンボディメンとやっているけどどうなっちゃうんだろう?」という意識がわずかに働き、瞬間的にlev1になった自分がいた。正直。
結局その場に居続けてクライアントが何かに気づいたものの、底を打って浮上し始めるところで試験が終わってしまった。
く、悔しい。
試験直後、妻は私に問う。
「楽しめた?」
「自分らしくできた?」
決して「上手くできた?」と聞かないところが妻らしい。
普段のコーチングとは異なり、とにかく疲労感がひどい。
それはコーチングのプロ歴が長い試験官であるクライアントに対してコーチングをしたことに加え、試験というものを意識したからであろう。
もちろん、セッション中はコーチとしてクライアントに躊躇なく関わっていたつもりだが、経験上、上記のような微妙な「ニュアンス」はコーチのBeingとして滲み出る。
これが出ると、コーチは自身の幅を狭め、延いてはクライアントの気づきを阻害することにつながることがある。
もっとクライアントのためにできたことがある。
一生懸命Goodを思い出そうとするが、どうしてもMoreが多く出てくる。
・画面の外に出てから元の場所に戻りたいか聞いても良かった
・序盤で「もしかしてもう答え出てる?」など直感で感じたことを出してみても良かった
・もしできれば、30分の中で行動まで決めたかった(スキルドリルではできていたのに、、とかね)
・遊びの心が足りなかったのでは?もっと突拍子のないことを言ってみたかった。などなど
今までで一番手応えのないセッションだった。
あれだけ頑張ったのに。
上級コース中に100時間セッションを完了し、コーチングに日々本気で向き合ってきた。
今日のために自分をご機嫌に保つスケジュールを調整した。
でも、普段自分のクライアントさんに実施するコーチングの方が軽やかだったと思う。
再集合

もやもやが募り、気づくと、口頭試験完了に向けた再度集合の時間。
どんな顔で臨もう…そんな不安が押し寄せた。
Zoomに戻ると、2人めの方の表情が固い。何があったのか気になるが、そこは聞けない。
完了について、私は(一応)何食わぬ顔で
コーチングにはやり切るという概念はないのかもしれない。目の前のクライアントのことを信じたり願ったりするほどmoreが出てくる。唯一解がないコミュニケーションだからこそ、学びが深く、自分の人生に必要だなと強く感じた。
的な内容を言葉にした。本音だけど強がっている。ダサい。。
試験の全項目が終わり、解放。されると思っていたが、「もっとできただろ」という言葉が大きくなる。
"CPCC 不合格"で検索

部屋に戻り妻と家族に、Co-activeの学びにおいてコーチングに没頭できるように協力してくれて本当にありがとう、と伝えた。
頭が痛い。気づけばGoogleで「CPCC 不合格」と検索していた。
CPCCに一度不合格になって二度目で合格した人の記事を探していたのか、CPCCに不合格と思ったが実は合格していた人の記事を探していたのかは定かでない。
ただ言えることは、今私が抱えているこの感情を肯定してくれる何かを探していたということ。
「大丈夫、きっとお前は合格している」
この言葉にすがるとは思ってもいなかった。
試験後、すっかり自分に自信を失っていたのだ。なんと、まぁ。。
妻がハンバーグを用意してくれていた。
箸をつけるも1割も喉を通らない。食欲が一切ないのだ。
妻は、結果はまだわからない、と冷静だ。
妻によるコーチング

妻とあーだこーだ話しているうちにだんだん今の気持ちの輪郭を捉えられるようなっていた。(ちなみに妻はNLPコーチングを学んでいる)
まず、改めて気づいたのは、コーチングの価値はクライアントが決めるということ。
個人SVでプロセスの終わらせ方がわからないと相談したことがある。
その時SVはこう教えてくれた。
若い頃、一度途中で終わってしまったことがあって…大丈夫かなって心配していたら翌日クライアントさんからアクションが送られて来て、コーチングってクライアントさんが価値を決めるんだなって思ったことがあるよ。クライアントさんのNCRWを真に信じて関わることがとても重要、それはセッション中だけではない
これを思い出した瞬間、今日のクライアントが実際にどう感じたのかはわからない。
勝手にコーチである私がそれを判断しない方が良い、ということである。
2つ目の気づきは、自分がコーチングにここまで本気だったんだということ。
普段あまり緊張しない私が珍しく緊張した。
この緊張と口頭試験直後の悔しさが、私の本気度を物語っている。
30代でここまで夢中になれることを見つけた自分はラッキーだと心底思った。
また、自分を冷静に客観視していることにも気がついた。
今までの自分であれば、少しできなかったことがあっても「できた!」と自分や周りに言い聞かせるようなところがあったと思う。
今回は違う。
セッション後に素直にできなかった部分について妻に打ち明けた。
それだけクライアントさんを見ていたし、コーチングというものに妥協がないのだろう。
そんな自分の本気さを再認識して、結果にこだわらない自分でもいいじゃんと思えた。
結果にこだわらないという観点では、試験中、合格のことは忘れていた。
ただ、クライアントに好奇心を向け、ともにいた。
綺麗なコーチングではないけれど、足も絡まりながらダンスした。そんな感覚。
そんなことを思い出しながら、ふと、「クライアントに伝えたいこと、伝えなくちゃいけないことがある」と思い、気づけば口頭試験でクライアントをしてくれた方にメッセージを打っていた。
コーチとしての在り方

これまでの自分であれば、試験は試験、以上。という感じであったが、クライアントに本気で関わるコーチとして、クライアントのテーマに何か使えそうなものであれば、仮に合否判定に悪影響を与えてでも伝えたいのが私のスタイル。
そんなスタイルを貫こうと思って、私なりの気づきをクライアントに短く送った。
間も無くして、返事が来た。
「ありがとう。受け取りますね」
渡してみて良かったという安心感と共にCPCC合格に固執していない自分がいることにも気がついた。
もちろん一発合格できるに越したことはないが、もしダメならまた2ヶ月後に受ければいいや。なんかそんな感覚である。
きっと狙って合格するものではなくで、自分がコーチとしてそのようなところにいたら自然と合格するんだと思う。
それが今日だったのか2ヶ月後だったのかその先なのかわからないけど、私のライフワークとして切り離せないCo-activeの学びの旅路はまだまだ続く。
<後日談>
